マレーシアのレアアースと放射性廃棄物
ブキメラ事件からライナス社の2026年許可更新まで
レアアースの精製は、放射性物質を含む残渣を生む。この問題が最も具体的な形で現れ続けている場所が、マレーシアである。1980年代のブキメラと、現在進行形のライナス社。40年をまたぐ二つの事例は、いまも決着していない。
この記事の出典について
本記事のうち、1980年代のブキメラに関する記述は、学術論文・報道記録・市民団体の記録にもとづいています。当事者企業やマレーシア政府による一次発表文書には到達できていません。また2026年3月のライナス社の許可更新に関する記述は、マレーシア政府の説明を伝える現地報道を通じて確認したものであり、科学技術革新省(MOSTI)および原子力ライセンス委員会(AELB)の発表原文にはあたれていません。
当サイトは一次情報のみを根拠とすることを編集方針としています。本記事はその基準を完全には満たしていません。読む際にこの点を前提としてください。確認できなかった事項は記事末尾にまとめています。
なぜマレーシアだったのか
日本は1968年の原子炉等規制法改正を経て、1972年以降、国内でモナザイトを処理しなくなった。この経緯は日本が1972年にモナザイトを手放した理由で扱っている。
問題は、その後どこで処理されたのかである。マレーシアのペラ州イポー近郊に設立されたアジア・レアアース社(Asian Rare Earth、ARE)は、その答えの一つだった。三菱化成(現・三菱ケミカル)が関与した合弁事業である。
中国新聞の取材記録によれば、工場は1982年に操業を開始した。カラーテレビの赤色蛍光体に使われるイットリウムなどの希土類金属は、ここで精製を終えたあと、全量が日本やヨーロッパへ輸出されていた。
残渣はどこへ行ったのか
精製された製品は輸出された。残ったのはトリウムを含む廃棄物である。
環境情報科学に掲載された和田喜彦氏の論文によれば、AREではピーク時で年間328トンのトリウム廃棄物が発生したとされる。ウラン酸化物は13トン、バリウム、ラジウムが40〜80トン、全体で毎年平均400トンの廃棄物を発生させていたという。
同論文は、ARE製錬工場が操業時点で放射性廃棄物の保管倉庫を持たず、袋に入れて地面に野積みにしたり、工場の裏手にあった池や近隣に違法投棄していたとされる、と記している。
工場から半径1キロ以内にブキメラ村があった。中国新聞の取材に応じた住民は、自分たちが「放射性廃棄物」の存在を知ったのは操業開始からしばらく経ってからだったと語っている。住民がAREに対して、何を製造しているのか、廃棄物に何が含まれているのかを問う質問状を出したが、返答はなかったとされる。
住民が起こした訴訟
ペナン消費者協会(Consumers Association of Penang)の記録によれば、1985年、8人の住民が、自分たちとブキメラおよび周辺の1万人の住民を代表してAREを提訴した。溶接工、靴職人、一般労働者、年金生活者、理髪師、トラクター運転手、クレーン操作者、そして訴訟の途中で亡くなることになるがん患者だった、と記されている。
三菱化学は1994年1月にマレーシアからの撤退を決め、工場も閉鎖された。ただし、廃棄物処理施設の設置工事の契約が締結されたのは2009年8月になってからである。閉鎖から15年が経過していた。
【確定した事実ではありません】健康被害の扱いについて
同志社大学の和田喜彦氏による講義資料には、1986年時点で通常の730倍の放射線量が計測された場所が発見されたこと、および平均の3倍の異常出産、40倍以上の発生率で子どもたちが白血病や癌に罹患したとする記述がある。出典としてDr. T. Jabalayan および小島(1992年)が挙げられている。
本記事はこれらを住民側および研究者が示した主張として記録する。操業と個々の健康被害との因果関係が、科学的にどこまで確定したのかを、公表資料から確認することはできなかった。断定的な記述は避ける。
ライナス社——現在進行形の事例
同じマレーシアで、いま操業しているのがオーストラリアのライナス社(Lynas Rare Earths)である。パハン州ゲベンに精製工場を持ち、中国以外では世界最大のレアアース生産者とされる。
争点は、水浸出精製(Water Leach Purification、WLP)の工程で生じる残渣である。2018年時点で、45万1,564トンのWLP残渣が蓄積していたと報じられている。マレーシア政府は、管理方法が定まらないまま残渣が積み上がり続けるリスクを問題視してきた。
2023年10月には、操業許可が2026年3月まで延長された。このときの条件は、地元専門家の支援による研究開発を通じて、WLP残渣の放射能濃度を1グラムあたり1ベクレル(1Bq/g)未満にすることだった。マレーシア原子力ライセンス委員会(AELB)は、1Bq/g未満のものを放射性廃棄物とみなさず、原子力ライセンス法の規制対象外としている。
2026年3月、10年の更新に付けられた条件
2026年3月2日、マレーシア政府はライナス社の操業許可を10年間更新すると発表した。有効期間は2026年3月3日から2036年3月2日までである。ただし条件は従来より厳しくなった。
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| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 許可期間 | 2026年3月3日〜2036年3月2日(10年) |
| WLP残渣の生成 | 最初の5年間で終了。2031年までに停止 |
| 既発生分の扱い | トリウム抽出その他の承認された処理方法により、1Bq/g未満へ中和 |
| 新規処分場 | 建設を認めない。既存の恒久処分場(PDF)は建設中で、2026年末完成予定 |
| 研究開発 | 年間総売上の1%を研究開発に充当 |
| 見直し | 最初の5年経過後に包括的な review を実施 |
科学技術革新相のチャン・リー・カン氏は、この決定について、放射性残渣がマレーシア国内に蓄積し続けることへの反対という政府の一貫した立場に沿ったものであり、裏切りではない、と説明している。既存のWLP残渣は建設中の恒久処分場に収容され、その完成度は発表時点で75%とされた。
ライナス社の最高経営責任者アマンダ・ラカーズ氏は、許可期間の長期化が同社とサプライチェーンの取引先にとって投資の確実性をもたらすものだとして、政府の判断を歓迎する声明を出している。
この40年が示していること
ブキメラとライナスは、企業も年代も異なる。だが構造は共通している。レアアースを分離・精製すれば、放射性物質を含む残渣が必ず出る。製品は輸出され、残渣はその土地に残る。
ライナスの件で注目すべきは、争点が「操業の可否」から「残渣をどう消すか」へ移っている点である。2031年までに残渣の生成そのものを止め、既発生分は規制の対象外となる濃度まで中和する。技術で解決できるという前提に立った条件設定になっている。
それが実現するかどうかは、2031年の見直しを待つほかない。1Bq/g という基準は、日本が1968年以降に引いた線とは制度が異なるが、放射性物質を含む残渣をどこまで許容するかという問いは同じものである。
南鳥島のレアアース泥が資源として注目される理由の一つに、放射性元素が乏しいとされる点がある。この論点は稿を改めて扱う。
この記事で確認できなかったこと
以下は、公表資料で裏づけが取れなかった事項です。書かないという選択もありますが、確認できていないことを確認できていないと記すほうが、読む方の判断の助けになると考えています。
- AREの操業停止時期。1992年とする記述と1994年とする記述がある。本記事では三菱化学の撤退決定を1994年1月とする資料に依拠した
- ブキメラにおける健康被害と操業との因果関係が、科学的・法的にどこまで確定したのか
- ライナス社のWLP残渣について、トリウム抽出による中和が商業規模で実証されているかどうか
- マレーシア政府およびAELBの一次発表文書。本記事の2026年3月の内容は、現地報道を通じて確認した政府説明にもとづく
【依拠した資料】和田喜彦「マレーシアでのレアアース資源製錬過程による環境問題」環境情報科学 43-4(2015年)/同氏による講義資料「公害と環境問題における『良心』」/中国新聞ヒロシマ平和メディアセンターの取材記録/ペナン消費者協会(Consumers Association of Penang)による経緯記録/マレーシア科学技術革新省(MOSTI)の2026年3月2日発表を伝える現地報道(The Star、Free Malaysia Today、Malay Mail)/ライナス社の発表。いずれも2026年9月1日に閲覧。
本記事は公表資料にもとづく記録であり、特定の銘柄の売買を推奨するものではありません。また、特定の企業や個人の責任の有無を認定するものでもありません。投資判断はご自身の責任において行ってください。
